◆ シリーズ "Idyll"田園の唄 37
秋田中央交通 デワ3001/3002
秋田中央交通は1921年(大正10)五城目軌道として創立。奥羽本線 八郎潟駅(開業時は五城目駅)と五城目(開業時は東五城目)約3.8kmを結んでいた絵に描いたような地方ローカル私鉄(軌道)でした。1943年(昭和18年)には戦時中の統合により秋田市を中心とする交通事業者6社が五城目軌道を主体とし秋田中央交通として発足。これより現在に至るまでバス会社として広大な路線網を持ち営業を続けています。さて軌道の方は開業時のガソリン機関車よりB型小型蒸気と機関車も変わり、更に1946年には15kg→30kg軌条化等を行い国鉄からの直通を実現。1950年には電化を果たし南海鉄道からED5161(旧鉄道省ED40)を購入。しかしこの鉄道にはあまりにも大き過ぎた。早速その翌年1951年12月に導入されたのがデワ3000形です。3輌あったデワの内最初に入線したのはデワ3002で元は目黒蒲田電鉄が1926年(大正15)に藤永田造船所で新製した有蓋電動貨車デワ1形デワ2。東急電鉄デワ3002となり元住吉等で使用されたが戦後碑文谷で休車放置されているところを東横車輌で整備の上秋田中央交通に送り込まれた。デワ3001は東京東横電鉄の無蓋電動貨車デト1形デト5で藤永田造船所1926年製、後に東急電鉄デト3015となる。1953年4月に東急元住吉工場で改造、2代目デワ3002として登場。その後廃車の上秋田中央交通に譲渡され番号の重複を避けデワ3001となった。入線許可は1954年1月。デワ3003は目黒蒲田電鉄デト4(製造所製造年は他と同じ)で1931年(昭和6)有蓋化改造を受けモワ3形モワ3。その後東急電鉄デワ3003を経て1952年長岡鉄道に譲渡デワ101となったものを1960年に再び譲り受けたもの。 東急時代は3輌共荷重7tであったが秋田中央では主力機関車とすべく車内にコンプレッサー、エアータンク、工具箱等設置、荷重0.3tとし郵便物のみ積載とした。また自動空気ブレーキ、基礎ブレーキの改良、客車への電源供給回路の装備を行った。台車は元デトのデワ3001、3が住友、3002がブリル製。モーターは48kw×2。全線平坦線である為、時を同じくして入線したキハ41000改造の客車ナハフ10形2輌に加え貨車も牽引する事ができた。3輌共濃紺の出で立ちで活躍を続けていたが1967年越後交通より凸電EB−110形EB−111を譲り受けたのを機にデワ3002は1967年5月で廃車となった。他の2輌は塗色をオレンジ、ライトブルーに塗色変更され1969年7月10日、同線の廃止まで活躍した。今は解体され見ることができないのは残念です。当社では東北地方の個性的な木造四輪単車を3部作として計画。一昨年その第1作として羽後交通雄勝線デハ1、デハ3を製品化し大変ご好評を頂きました。今回の秋田中央交通デワ3001、デワ3002はその第2作目と云う事になります。小さいながら屋根巾が車体巾より広い等々、大変複雑な形状をしており更に全身ハリネズミのようなディテールに覆われその上追い討ちをかけるように3001、3002では車体、ディテール共にまったく別形態という代物。少ない資料写真よりの模型化図面の作成、また新たに見つかった資料に基づく図面の度重なる変更により製作期間が長期に渡り発売時期が大幅に遅れる事になりました。3001,3002の側面ディテールとしては乗務員ドア、中央荷物ドア、ドアレール、側窓、アングルやチャンネル各部補強材から手すり、ステップと作り分け、屋上では雨樋、ランボード有無、パンタ台形状、パイピング引き廻しの違いを正確に表現致しました。下廻り台車の作り込みも立体的奥行き感に富むもので今までのこの種のモデルの概念を一変させるものです。キャブ・インテリア完備。キャノンCN―16モーターとAJIN社製スキュードギヤー・システムの組合せを3点支持全軸集電とし小レイアウトでの実感的なスケール走行の実現に対処しております。当社発売の各種木製貨車やマッチ箱客車との組合せでお楽しみ頂けますがキハ41000改造の客車ナハフ10形の取材も終わり発売を予定しております。何れにしても小編成で大変深い味わいのある充実した楽しみ方ができます。デワ3000形の活躍時期は奥羽本線でのC60、C61、D51等大型蒸気の全盛期。蒸気機関車の行き交う本線横の側線でデワが2軸貨車の入換えを行っている等、そのような時代に夢を馳せる事ができるならこの小さなモデルも一層輝きを増すに違いないと思います。
ケーディーカプラー#38別塗購入の上付属の2mmネジでお取付け下さい。側サボ(客車用)はおまけです。
シリーズ"ldyll"〜 田園の唄 東北地方ローカル私鉄名物単車3部作完結扁
山形交通三山線モハ100形モハ102、モハ103