● セキ1 typeC 鉄道省,国鉄,美唄,雄別
●セキ1 typeD 鉄道省,国鉄,雄別
● セキ600 国鉄、鉄道省
明治政府は北海道の開発のために「開拓使」を設けたが、その開拓使は自らの名から西部開拓でも連想したのか、アメリカ人技師を招いて開発計画を推進した。鉄道技師もアメリカからJ.U.クロフォードが招かれ、幌内鉄道の建設にあたった。現在、三笠市の旧国鉄幌内線三笠駅跡にクロフォード広場があるが、北海道の鉄道の父と云うべきクロフォードを記念したものである。このように始まった北海道の鉄道は北海道炭礦鉄道を経て国有統合後もアメリカ様式の伝統が強く残っていた。ボギー車の採用も石炭船積用高架桟橋による石炭の積み込みもアメリカ的であり、また本州から転用されてきた機関車も8100、9200などアメリカ製テンダー機が多かった。セキの原型となった側開式鉄製石炭車もアメリカにA=フレーム・ゴンドラカーという型式があり、構造が簡単で扉の開閉が容易にできて積載量が大きいこの形になった。明治44年(1911)手宮の高架桟橋完成と共に24トン積みオテセ9500形が製造されたが、当初の台車はコイルスプリング使用のアーチバー式で軸距5ft.4in.車輪径33in.まったくのアメリカンスタイルである。大正14年(1925)から30トン積みのオテセ10500形が製造されるようになり、それまでの24トン積み車も全て30トン積みに改造されオテセ11000となる。昭和の形式称号改正により、オテセ10500形はセキ600形となり、それ以前の増トン改造車はセキ1形にまとめられた。昭和5年(1930)、TR20台車をつけたセキ1000形が製造されるようになるが、セキ1、セキ600も積載時の走行安定の為台車をコイルスプリングからリーフ・スプリングに改造されている。戦後の昭和26年(1951)からセキ3000形が製造されるようになり、セキ1形などは運炭鉄道に払い下げられたり廃車されたりして大分数が減ってしまうが、昭和48年(1973)でもまだ国鉄線上にその姿を見ることができた。また北海道以外でも昭和40年頃の筑豊線でセキ1000がセム・セラと9600に牽かれている写真も見ている。変わったところでは昭和38年(1963)、青森にセキ2輌の存在が確認されている。どうも燃料業者が石炭を注文した際、セキでそのまま送られて来たらしい。道外禁止の車輌でもこういうことがあるのが面白い。 石炭車は殆どが国鉄線直通となるので運炭鉄道で自社発注・新製された車輌はそんなに多くない。自社線内での運炭にはト、トムなどの無蓋車が使用されるのが普通である。雄別鉄道は埠頭線を持ち石炭桟橋があったので、開業時(大正12年・1923)にセキ10輌を新製している。セキ1と同形のもので、この他にセキ1を何度かに渡って計23輌ほど払い下げを受けている。釧路臨港鉄道は現在でも使用されている知人石炭桟橋があるが、開業時(大正14年・1925)には国鉄払い下げの無蓋車が使用された。この無蓋車には旧北官のアメリカ製ニ軸ボギー無蓋車ホト16輌が含まれており、トラ50形として石炭輸送に活躍した。石炭車は木製三軸側開式という他に例を見ないものが、大正15年(1926)から計43輌が製造された。ニ軸ボギー石炭車は戦後の昭和33年(1958)にセキ1形10輌の払い下げを受けたのが最初だが、後に連接式60トン積み側扉自動開閉装置付きのこれもユニークな車輌と作っている。 夕張鉄道には自社所有石炭車はなかったが、親会社の北海道炭礦汽船が大正14・15年(1925・26)に製造したニ軸ボギー石炭車を借入れ使用している。始めは18トン積みでセラ、後に高さを増して23トン積みとなりセサ500形となった。これらは結構出入りがあり、天塩炭礦鉄道に貸し出されたり、セラのままで真谷地の側線に置かれていたものもあった。天塩炭礦鉄道は、国鉄払い下げのセキ1を5輌所有していた。 美唄鉄道は自社発注の2軸石炭車も所有していたが、セキは国鉄払い下げのセキ1 8輌とセキ1000 4輌である。同じ三菱礦業系の大夕張鉄道が所有していたセキ3輌は、旭川電軌線内で事故を起こし、しょうがなく旭川電軌で引き取って持て余していたもの。事故復旧の際に車体が新しくなっているが、セキ1・1000系で残存するのはこれだけで、今も旧南夕張駅構内に放置されている。この他に日曹や上芦別などのセキの払い下げを受けた北海道の運炭鉄道はいくつかあるが詳しいことはよく判らない。 道外禁止の黄帯の印象もあってセキというと北海道の車輌と思いがちだが、戦後は九州でも使用されている。鹿児島線本線折尾駅近くにあった日本炭礦会社専用鉄道でも、戦時・戦後の輸送力の増強のためにセキ1000・セキ3000相当の車輌を18輌製造しており、またセキ1形を15輌ほど払い下げを受けて使用している。この鉄道はスケネクタディの5700形も所有しており、アメリカ型古典機とセキの組み合わせは北海道の専売ではない。セキやセムというと長い編成を連想しがちだが、側線のジオラマや入換運転を目的とした小レイアウトならば数輌あれば良い。上記のように運炭鉄道といっても、そんなに沢山のセキを所有しているわけではない。また北海道に限定する必要もない。当社発売のクラウス17号と並べるのがちばん似合うがそれに拘ることはない。編成としてのセキではなく、1輌じっくり眺めて楽しむ、という思いでこのセキを作っているのです。
製造年 輌数
セキ1 1912〜1916 531輌
セキ600 1924〜1926 300輌
セキ1000 1929〜1944 1480輌
1999年2月 セキ1A、Bタイプ、セキ1000を発売。そして今回のセキ1C、Dタイプ、セキ600の製品化により国鉄30トン積みセキのバリエーションをほぼ網羅する事ができました(セキ3000は各社よりさまざまな製品が発売されています)。今回のプロトタイプは比較的後年のタイプとしコイル・スプリングよりルーフ・スプリングにそれぞれ改造されたTR16、TR18を新規で型起こし、側扇ヒンジのプロテクタも忠実に再現しております。特にセキ1側面補強の表現等は模型としての限界に挑戦しております。古典機やキューロクでセキも含め古めの有蓋車、無蓋車各種取り混ぜてのデコボコ小編成など実に味わいがあります。
★ ケーディーカプラ―#38のカプラ―ポケット前部の両隅を少し削って取り付けて下さい。
これからの予定品
セム1、セム3140、ワ1(3タイプ)、ワ2200(2タイプ)、レ2900(3タイプ)、 ツ2500、ト20000(2タイプ)