ラインナップ NO.45                                                 2008.1.20
シリーズ"Idyll”~田園の唄 44
セム1/セムフ1

只今発売中!

 セム1 全鉄張炭箱 空気ブレーキ付    セム1 半鉄張炭箱 空気ブレーキ無      セムフ1空気ブレーキ付
                               予価(税別)   税込価格
鉄道省 セム1  全鉄張箱  空気ブレーキ付
  ¥35,800  ¥37,590
国鉄   セム1 全鉄張炭箱 空気ブレーキ付   ¥35,800  ¥37,590
鉄道省 セム1 全鉄張箱 空気ブレーキ無し ¥33,500  ¥35,175
国鉄  セム1 全鉄張炭箱 空気ブレーキ無し  ¥33,500  ¥35,175
鉄道省 セム1 半鉄張炭箱 空気ブレーキ付   ¥35,800  ¥37,590
国鉄 セム1 半鉄張炭箱 空気ブレーキ付
    ¥35,800  ¥37,590
鉄道省 セム1 半鉄張炭箱 空気ブレーキ無し  ¥33,500  ¥35,175
国鉄  セム1 半鉄張炭箱 空気ブレーキ無し  ¥33,500  ¥35,175
鉄道省 セムフ1 半鉄張炭箱、空気ブレーキ付き ¥36,800  ¥38,640


<セム1・セムフ1について>

 九州の鉄道は、明治22年(1887)12月の九州鉄道・博多-千歳川間の部分開業を始まりとするのが一般的だが、各炭鉱の専用鉄道ではそれ以前から蒸気機関車などによる輸送は、鉱山と積み出し港との短い区間ではあるが行われていた。明治24年(1889)に、九州鉄道および筑豊鉄道が全面開通することによって石炭輸送は本格化するが、使用されたのは普通の二軸無蓋車であり、底開き式の石炭車は明治30年(1897)からの使用である。これはファン デルチーペン ウント シャロイヤ(Van der Zypen & Charuer)製、軸距2500mmの木造2軸車で7トン積みであった。以後、同様の底開き式二軸石炭車は5トン~9トン積みのものが木製・鋼製あわせて大量に増備され、明治40年(1907)の国有時には合計4640両にもなっている。製造所は多岐に亘っており、九州鉄道の小倉・若松・行橋の各工場の他、平岡・天野・日本車輌・汽車製造・石川島などでも造られた。また一端に手用制動機を付けたものも多く造られたが、車掌室をもった車両はなかった。貫通制動のなかった時代、4~5両に一人の割合で制動手が乗務し、機関車の汽笛の合図で一斉にブレーキ・ハンドルを操作していた。
 国有後の明治44年(1911)になってようやく貨車の形式称号が定められることになり、これらの石炭車は形式'タ'とされたようだ。'セ'は石灰車にあてられており、全く同じ形状でも積み荷によって形式を細かく分けるようにしたらしい。手用制動器付きのものは'フタ'、鋼製のものは'テタ'、'フテタ'とした。なお北海道のボギー石炭車は、ボギーを示す'オ'を付けて'オテタ'となった。また九州鉄道が発注したが国有化などで納入が遅れていた車両が、大正2~3年(1913~4)に到着している。汽車製造東京及び川崎造船所神戸製造で、鋼製13トン積みの従来よりも大きな車両で形式テタ2545とし、284両あったと思われる。
 大正3年(1914)に始まった第1次世界大戦の影響などで貨物輸送量が著しく増大したため、鉄道院は貨車の標準を15トン積みとする方針を出した。二軸石炭車においては九州鉄道以来の木造車の耐用年数もあり、木造車の全部と小型のものを改造することになった。施工は小倉工場と若松工場で行われたが、改造といっても軸受けや一部部材を利用するだけで、炭箱は全て新製であり車輪も交換したものが多かった。炭箱には上部木製のものと全鋼製のものがあるが、これは材料の鋼板の板取の関係からムダを最小限とするためで同時に製造されており、数もほぼ同数である。使用した軸箱守の違いから台枠は3種類あるが、全体の外観には差違が見られない。また炭箱の一端を欠きとって14トン積みとし、車掌室を付けたものも造られた。車掌室といっても小さな腰掛けを付けた粗末な箱状のもので、手ブレーキ覆いが妻板に飛び出しているのが面白い。開き戸は製造時は鎧戸だったのが、破損が多いので後に板戸に改められた。これらが昭和3年(1928)の形式称号の改正で形式セム1・1~2845、形式セムフ1・1~558となったもので、テタ2545形も炭箱上部を嵩上げして15トン積みとし、形式セム1・2846~3129となった。また同様に造られたものにセム3140形、セムフ700形があるが、セム3140形は一端に台を設けて手用制動器を付け側ブレーキがないもの。セムフ700形は炭箱を嵩上げして15トン積みとしたので形式が分けられたようだ。その他に同型の石炭車でセム3250形などがあるが、それらは戦時下に国有化された博多湾鉄道や小倉鉄道からの引き継ぎ車である。
石炭車への空気制動器の取り付けは大正末年から始められ、完了したのは昭和6年(1931)である。セムフ1形にはほぼ全車に取り付けたようだが、セム1形に対しては2両にひとつとされ、1両は貫通管だけの取り付けであった。工事は半鋼製・全鋼製の区別なくおこなわれ、形式・番号などの区分も行われなかったらしい。結果としてセム1形には、大別して半鋼製と全鋼製、空気制動器の有無の4種類があることになった。
 大正から昭和戦前期において、九州の石炭輸送の中心的存在であったセム1形・セムフ1形であるが、戦後はセムフ1形は全車、セム1形もかなりの数が廃車されたり私鉄専用線に払い下げられたりしている。それでも石炭輸送末期の昭和40年(1965)においてなお、およそ800両ほどが国鉄線上に残っていたようだ。日本セメントなどに払い下げられたものは石灰輸送に使用され、真っ黒だったものが石灰石を積んで真っ白になっていたのが面白かった。また炭箱を取り去って四角い水槽を乗せた水運車(ミ320形)などへの改造もなされたが、形式はセムのままの代用水運車というものも造られた。どういうものかというと、全鋼製のセムの底に鉄板を溶接して水密にし簡単な栓をつけ、炭箱上部の両端に溢水防止用の水切り板を溶接する。炭箱上端から400mmのところに20mmの白線をいれ、そこまで水をいれると容量15.5立方メートルで、荷重15トンになるという。昭和15年から使われはじめ、中央の形式番号の上に水○と大きく書いて、水不足で水質も良くなかった筑豊方面で戦後も長く使用された。
 現在セム1形は若松駅前にセム1000、直方の石炭記念館にセム1が残っているが、番号は実際のものとは違っているようだ。またセム1000には若松工場の銘板が付けられているが、改修した時に付けられたようで実際のものとは異なる。セム1形・セムフ1形は改造名義ということもあってか、銘板が付けられていた様子がない。
 以上がセム1形・セムフ1形の略歴であるが、明治から大正にかけては資料も少なく不明な点が多い。特に形式・番号の追跡は殆どできなかった。この記事の多くの部分は、須田町にあった交通博物館図書室で見つけた小倉工場発行の石炭車製造記によっていることを銘記したい。                            (WABU2 T.K 記す)


もう7年も以前に当方にて模型化図面が出来上がっていたセム1・セムフ1。メーカーがやっと動いたのが一昨年の10月。そしてのろのろ歩きながらここにサンプルモデルを何とか紹介出来るまでに進行してまいりました。

写真はセム木枠増炭ブレーキ無し車のサンプル。小さいながらそのディテール表現は今までに無い程でハンパではありません。ブレーキシューの改良や複雑なそのテコが付きますがブレーキ・シリンダー付セムや更に車掌室の付くセムフが出来上がった時の凄さはちょっと想像もできません。発売は当社の予定より1年遅れで2008年7月を予定しております。
 以前発売のセキ・シリーズが裸足で逃げ出すのではないかという程に手間が掛かります。とんでもないものに手を出してしまい後悔後に立たずの心境。もちろんメーカーのDANA MODELは尚大変です。

3輌から4輌程で組合せひなびたムードを演出するのが一番。早いとこクラウス1400、1440を作らなければいけません。お持ちの方はとりあえずクラウス10形大分交通26号機がぴったり致します。もちろん新しい形式のセムに混ぜてキューロクやD50で牽かせてやってももちろんOKです。いずれにしてもローカル私鉄華やかし頃の九州の鉄道を再現するには絶対必要な存在です。





炭箱と下廻り台枠のバランスの取り方が非常に難しい車輌です。


良く作り込まれた下廻りディテール。さらにブレーキテコ類が追加されます。乞うご期待。