特集6 DD51への想い

今では当店の代名詞と云えるモデルとなったDD51、色々コピーモデルも現れて16番のDD51も花盛りと言ったところです。元は1999年DD51の1号機を製作する事から始まった企画で量産機を作るなどその頃は夢にも思いませんでした。1号機の簡単な寸法が入った国鉄の資料と丁度当時開園したばかりの横川鉄道文化村に1号機が美しくお色直しされて入ったのも好都合と何回か足を運びデータを取りました。DD51 1号機は一つの機関車を登場時、全盛期、晩年と3つの仕様で作り分け、その基本図面の作成には時間を掛けてじっくり取組みました。

(A)その中で模型製作上最も重要なポイントとなったのが中間台車と側台枠の厚みの関係です。DD51は動力台車のオーバーハングが大きく模型では中間台車の横動が相当大きなものになります。当店では国鉄の本線用機関車モデルは最少通過半径ダイレクトSカーブR610と決めているのでサイドビューのシルエットをくずさないで如何に通過させるかが課題となりました。参考にと他社製品を全て調べましたが皆車輪径を小さくしたり、台車とフレーム間のスペースを取ったり又は動力台車の台車中心距離を短くしたりとそれぞれ工夫をしていますが残念ながらDD51らしい重心の低い腰の座ったスキの無いプロポーションを皆くずしてしまっていました。又中間台車のバネの上部を大きくカットして台枠を逃げるのも当然のやり方でした。当店の方針として(1)動輪径はスケール通りで (2)2つの動力台車の距離もスケール通りで (3)サイドフレームの寸法も台車とのクリアランスをギリギリに確保、走行に支障がないポイントを見極め極力スケール通りで (4)台車形状及び車輪が入る軸箱の位置からレール面までの距離を機関車の重みで少し重心が下がった様子を再現する (5)中間台車のバネ(量産機での空気バネ)上部をカットしたように見せない工夫をする。これらを全て実行した模型造りを行う事としました。台車上部とサイドフレームとのちょっとした接触、台車排障器とスノウプロウの当たりの問題をまずギリギリで調整、中間台車のスプリングは台車の側枠部分は切り離し床に空けた穴に2本の脚で差し込み上下させる事で台車本体の横へのスライド、実物通りのサイドビューを実現致しました。最後にスケール通りの中間台車の車輪とサイドフレーム内側の接触には大変苦労しましたがサイドフレーム内側の車輪が当たる部分を表側から見ても目立たず支障がないようにアレンジしてカット、何とかダイレクトSカーブ R610のスムーズな曲線追加を可能とする事になりました。

(B)機関車は顔が命、もちろん機関車だけの話ではありませんがDD51の場合1号機もさる事ながら745号機の取材時にその正面からの威容に圧倒されてしまいこの迫力をそのまま模型で再現したいと強く思った次第。ボンネットの断面形状。その前頭部の正確な印象の再現。そして力強いエンドビームと各取付部品の形状とバランス、全体として横綱がぐっと腰を落として構えたようなどっしりとした感じが出せるようプロデュースして行きました。

(C)キャブの形状の印象把握と正確な再現。DD13、DD16等の経験でまず運転室側窓の表現が大変大事なポイントである事に気づいていたのでこの部分を出来る限り実物の印象に近づけるようにしました。微妙な凹凸、繊細なサッシの表現等々。キャブ形状では前後の後退角、屋根のR表現、ひさし部分の正確な寸法取り等一つも手を抜けない部分です。古いDD51のモデルのキャブ正面窓は実物が長方形であるところを台形にしたり皆勘違いと云うかプロトタイプの図面や実機検分を全く行っていないのか解るものばかりでした。この窓も含めてのDD51のもう一つの顔、キャブ正面の面構えではDD51量産型を最初に製作していた時大きな問題が有り金銭的にも技術的にも難しい状況となりました。745号機未塗装サンプル、その後の842号機塗装済サンプルでは全く気が付かなかったポイントでDD51発売、最初の予定で進めていた745号機量産塗装済サンプルのチェック時にキャブ正面の印象がプロテクターを取り付けた状態で不自然で窮屈な印象である事に気が付き相当慌ててしまいました。今考えると屋根の板の厚みが模型の板材の厚みと実物の厚みとの差でキャブ前面のスペースが微妙に狭くなっていた訳でプロテクターを取り付けた時にそれが前面の印象を微妙に変えていました。結局出来上がっていた745号機量産品から全てのキャブは一度取り外されて新しく設計し直したキャブと交換する事となりましたがこれが大工事で結局745号機の発売は2年近く遅れる事となってしまいました。故に当店のDD51のキャブはほんの少し0.2㎜程膨らみも持たせたアレンジを行っています。

以上の如くムサシノモデルのDD51モデルは全て当店において徹底した実機検分と図面のチェックから始まり模型製作上の指示、コンセプト、ポリシーと全て当店の考えを100%活かしメーカー共々協力の上仕上げてきた製品です。ムサシノモデルのノウハウが一つの模型に凝縮されていると云って良いでしょう。その後も改良を重ねメーカーも亜進社よりブラスモデルメーカーとして独立したATM社に引き継がれ製作されて来ました。そしてもう一度DD51にチャレンジさせて頂く事を可能とさせて頂いた皆様に深く感謝する次第です。
私が最初にDD51を知ったのは小6の1967年誠文堂新光社の機関車ガイドブックに写真が掲載されていた茶色塗装秋田時代のDD51 1号機でした。大型の凸型機関車DD51。父のコレクションに天賞堂さんのDD13が有りその独特のセンターキャブ凸型スタイルとオレンジに白線が入った高級感の有る塗装には息を飲んで見入ったものです(触らせてもらえなかった)。その後初代模型社のDD51を手に入れ大型モーターとダイキャスト製ギヤボックスで良く走り力強くDD51は私のお気に入り大好きな機関車となりました。蒸気機関車の宿敵と今だに嫌悪しているケッタイな人もいる様ですが今ではDD51は大層な人気機種となりそしてプロトタイプとしての活躍の終焉に近づいて歴史上のものになりつつ有ります。