ラインナップ NO.73 2017.8.2
DD11 1次型(1~3号機)
のバージョン展開についての解説
日本で最初の液体式ディーゼル機関車DD11は折から開発されディーゼルカーに使用されていた160PSのDMH17を2基搭載、320PSとした入換機で1954年製造の1次型1~3号機と改良の上1957年製造の2次型4~9号機が有ります。.2次型は1次型より少し大きくDD131次型の小型版と云った趣で模型にして愛嬌のあるのはやはり1次型でしょう。と云う訳で当店ではDD11は1次型を製作する事に致しました。同系機として大分交通にD31,D32があり製品展開にも持って来いです。さて、DD11は今までに幾つかの製品が発表されていますが当店では何時もの様に1,2,3号機それぞれの登場時からその晩年までのスタイルの変遷、変化を克明に調査しました。 1,2号機は製造メーカーである汽車会社において1954年8月西尾克三郎氏による国鉄納入時スタイルの形式写真が有名です。1次型は320PSと云うC12の半分の出力を重連総括とすることで補うとしており、1号機、2号機が仲良く重連状態で写ったメーカー写真まで有ります。塗色はDD11から始まる当時の国鉄ディーゼル機関車の標準塗色ブドウ色に手すり等は黄色というものです。問題は1954当時国鉄にブドウ2号塗色が存在したのか検証が必要です。1,2号機は田端機関区に配属の上、隅田川駅での入換に使用されたがこの重連総括用のジャンパーカプラーは1,2号機に関しては少なくとも旧塗色時代には取り外されその前部エプロン部分の跡は半丸状にえぐられています。ほとんど重連総括は必要無くDD11 2次型ではその装備は最初から省略されています。DD11 1,2号機は以後国府津機関区久里浜支区に移動。この頃ATSを装備、新塗色塗り替え後もDD12などと横須賀近辺の米軍基地で燃料輸送や入換に使用されている。1971年DD13の進出によりここではお役御免となりDD12と一緒に茅ヶ崎駅に留置されているのは多くの写真と共に有名なところです。この時点では1,2号機ともボンネット上面の取り外しパネルに吊り上げフックの取り付け、キャブ屋上ではホィッスルを一般的な汽笛に交換,及び非常用発煙筒が取付が取り付けられている他、一部手すりの取り付け方が変わった程度で号機による差異はありません。DD12はここで休車となり1974年に解体されていますがDD11は2輌揃って小郡機関区に移動、更に活躍を続けます。そしてここにおいて1号機の改造により形態上の変化が起きます。1号機は新たに取り付けた排気管がキャブ前妻まで伸び更に屋根の高さまで立ち上がっています。機関車前頭部ではエプロンが撤去されラジエーターカヴァーの下一本がカットされています。ジャンパーカプラー撤去跡も板を張り替え痕跡を消しています。ヘッドライトはボンネット上面からブラケットを介してボンネットの前に降りています。さらに台車エンドビーム下端両サイドの切り欠きが無くなり延長されそこに大きなステップが付いています。これらの改造により1号機の前からの印象が一変してしまいました。2号機は1977年用途停止となり鷹取工場で再整備の上ベトナムに旅立っていますが1号機は早岐へと移動、佐世保線等で使用された後1978年に用途停止になっている。 3号機は北海道の室蘭に配備、のち苗穂に移動していますが新製時の写真はないようです。配備後運転室水切りの大型化、うず巻きタイフォンへの変更等耐寒、耐雪えと備えていますが両エンドエプロン上にブレーキ力強化の為エアータンクが増設されているのが目につきます。初期の形状は単行本‘日本の内燃車輌‘の写真で1962年の姿が確認できます。その2年後の1964年6月18日に西尾克三郎氏が苗穂機関区において撮影した写真が残されていますが片側ボンネット上キャブ寄りに平べったいおおきな箱状のものが付き、その前のボンネット上にはアングルが二つ補強目的で取り付けられています、又デッキステップがC57辺りのテンダー前部ステップに交換されています。その後数年の内に新塗色に塗り替えられているはずですが、1970年代の写真ではさらに形態が変化、両エプロン上のエアータンクは撤去されボンネット上に箱のある側にはスノープロウとそれを上下させるシリンダー二基が台車エンドビームにさらに追加取付し前に張り出させた新たなエンドビームにとりつけられています。反対側では解放テコが両端を除いて板でカヴァーされています。なおエアータンクを取り付けた時にラジエーターカヴァーの下半分を取り去っているのも確認できます。その他ではステップはオリジナルに戻り、キャブ屋上の真ん中あたりに一般的なホイッスルが一つ付けられているだけになっています。 以上の様にたった3輌のDD111次型の歴史とその変遷を調べていくと今までこの機関車について我々は何も知らなかった様です。そして以下の通りのバージョン展開を試みようとプロデュースをおこなっています。登場時のGOD全体図面は動力装置、キャブインテリアまで含めて完成しています。時間は掛かると思いますがこのプロジェクトにチァレンジして行きます。ご期待ください。
TYPE1 DD11 1,2号機登場時重連総括用ジャンパーカプラー付き。旧塗色。
TYPE2 DD11 1,2号機久里浜支区時代(2号機は小郡機関区の最後まで変化なし)新塗色
TYPE3 DD11 1号機小郡機関区~早岐機関区時代。エプロン撤去、エキゾースト追加取り付け。
TYPE4 DD11 3号機1964年苗穂機関区時代 TYPE5 大分交通D31,D32 シリーズ”IDYLL~田園の詩”
注)3号機新塗色1970年代スタイルに関して両エンドビーム部のディテール解析に大変難しいものが有ります。製作可能か五分五分です。
DD11 1次型(1~3号機)
のバージョン展開についての解説
日本で最初の液体式ディーゼル機関車DD11は折から開発されディーゼルカーに使用されていた160PSのDMH17を2基搭載、320PSとした入換機で1954年製造の1次型1~3号機と改良の上1957年製造の2次型4~9号機が有ります。.2次型は1次型より少し大きくDD131次型の小型版と云った趣で模型にして愛嬌のあるのはやはり1次型でしょう。と云う訳で当店ではDD11は1次型を製作する事に致しました。同系機として大分交通にD31,D32があり製品展開にも持って来いです。さて、DD11は今までに幾つかの製品が発表されていますが当店では何時もの様に1,2,3号機それぞれの登場時からその晩年までのスタイルの変遷、変化を克明に調査しました。 1,2号機は製造メーカーである汽車会社において1954年8月西尾克三郎氏による国鉄納入時スタイルの形式写真が有名です。1次型は320PSと云うC12の半分の出力を重連総括とすることで補うとしており、1号機、2号機が仲良く重連状態で写ったメーカー写真まで有ります。塗色はDD11から始まる当時の国鉄ディーゼル機関車の標準塗色ブドウ色に手すり等は黄色というものです。問題は1954当時国鉄にブドウ2号塗色が存在したのか検証が必要です。1,2号機は田端機関区に配属の上、隅田川駅での入換に使用されたがこの重連総括用のジャンパーカプラーは1,2号機に関しては少なくとも旧塗色時代には取り外されその前部エプロン部分の跡は半丸状にえぐられています。ほとんど重連総括は必要無くDD11 2次型ではその装備は最初から省略されています。DD11 1,2号機は以後国府津機関区久里浜支区に移動。この頃ATSを装備、新塗色塗り替え後もDD12などと横須賀近辺の米軍基地で燃料輸送や入換に使用されている。1971年DD13の進出によりここではお役御免となりDD12と一緒に茅ヶ崎駅に留置されているのは多くの写真と共に有名なところです。この時点では1,2号機ともボンネット上面の取り外しパネルに吊り上げフックの取り付け、キャブ屋上ではホィッスルを一般的な汽笛に交換,及び非常用発煙筒が取付が取り付けられている他、一部手すりの取り付け方が変わった程度で号機による差異はありません。DD12はここで休車となり1974年に解体されていますがDD11は2輌揃って小郡機関区に移動、更に活躍を続けます。そしてここにおいて1号機の改造により形態上の変化が起きます。1号機は新たに取り付けた排気管がキャブ前妻まで伸び更に屋根の高さまで立ち上がっています。機関車前頭部ではエプロンが撤去されラジエーターカヴァーの下一本がカットされています。ジャンパーカプラー撤去跡も板を張り替え痕跡を消しています。ヘッドライトはボンネット上面からブラケットを介してボンネットの前に降りています。さらに台車エンドビーム下端両サイドの切り欠きが無くなり延長されそこに大きなステップが付いています。これらの改造により1号機の前からの印象が一変してしまいました。2号機は1977年用途停止となり鷹取工場で再整備の上ベトナムに旅立っていますが1号機は早岐へと移動、佐世保線等で使用された後1978年に用途停止になっている。 3号機は北海道の室蘭に配備、のち苗穂に移動していますが新製時の写真はないようです。配備後運転室水切りの大型化、うず巻きタイフォンへの変更等耐寒、耐雪えと備えていますが両エンドエプロン上にブレーキ力強化の為エアータンクが増設されているのが目につきます。初期の形状は単行本‘日本の内燃車輌‘の写真で1962年の姿が確認できます。その2年後の1964年6月18日に西尾克三郎氏が苗穂機関区において撮影した写真が残されていますが片側ボンネット上キャブ寄りに平べったいおおきな箱状のものが付き、その前のボンネット上にはアングルが二つ補強目的で取り付けられています、又デッキステップがC57辺りのテンダー前部ステップに交換されています。その後数年の内に新塗色に塗り替えられているはずですが、1970年代の写真ではさらに形態が変化、両エプロン上のエアータンクは撤去されボンネット上に箱のある側にはスノープロウとそれを上下させるシリンダー二基が台車エンドビームにさらに追加取付し前に張り出させた新たなエンドビームにとりつけられています。反対側では解放テコが両端を除いて板でカヴァーされています。なおエアータンクを取り付けた時にラジエーターカヴァーの下半分を取り去っているのも確認できます。その他ではステップはオリジナルに戻り、キャブ屋上の真ん中あたりに一般的なホイッスルが一つ付けられているだけになっています。 以上の様にたった3輌のDD111次型の歴史とその変遷を調べていくと今までこの機関車について我々は何も知らなかった様です。そして以下の通りのバージョン展開を試みようとプロデュースをおこなっています。登場時のGOD全体図面は動力装置、キャブインテリアまで含めて完成しています。時間は掛かると思いますがこのプロジェクトにチァレンジして行きます。ご期待ください。
TYPE1 DD11 1,2号機登場時重連総括用ジャンパーカプラー付き。旧塗色。
TYPE2 DD11 1,2号機久里浜支区時代(2号機は小郡機関区の最後まで変化なし)新塗色
TYPE3 DD11 1号機小郡機関区~早岐機関区時代。エプロン撤去、エキゾースト追加取り付け。
TYPE4 DD11 3号機1964年苗穂機関区時代 TYPE5 大分交通D31,D32 シリーズ”IDYLL~田園の詩”
注)3号機新塗色1970年代スタイルに関して両エンドビーム部のディテール解析に大変難しいものが有ります。製作可能か五分五分です。